Conversation 08

Guest大童澄瞳

Profile

大童澄瞳|マンガ家

おおわら・すみと/1993年神奈川県生まれ。東洋美術学校絵画科卒業後、独学でアニメーション制作を行う。2015年、コミティア111に出品した作品をきっかけに、『月刊!スピリッツ』(小学館)にて『映像研には手を出すな!』で連載デビュー。同作はブロスコミックアワード2017(TV Bros.主催)大賞受賞、俺マン2017第1位、マンガ大賞2018ノミネートなど話題作となっている。6月12日(火)に同作の単行本第3巻が発売予定。そこらへんの小川で採ってきたお魚を水槽で育てている。

マンガ家・大童澄瞳に聞く
こだわりの極め方

対談第8回目は、『映像研には手を出すな!』(ビックコミックス、以下『映像研』)作者の大童澄瞳。アニメ制作を行う女子高生3人を描いた『映像研』は、設定の緻密さから作者にとって初連載ながらもSNSを中心に大きな話題になった。落ち込んでいたとき、作品の「こだわり」に救われたというぼくりりが、大童澄瞳の創作への向き合い方に迫る。

  1. 1. リコーダーの存在ってなんだろう?
  2. 2. 有能が流行り、無能は流行らない?
  3. 3. 自分の描いているものはこだわりか、マンガか?
  4. 4. 締め切りがなければ豊かなものが描ける?

◇リコーダーの存在ってなんだろう?

ぼくりり

“最初の感覚としては個人製作というよりも、家でカラオケをしているだけだったと思います”

大童

“音楽の授業はぼくにとって最悪で、強制されてリコーダーを吹かなきゃいけないのが苦痛だったんです”

ぼくりり:『映像研』大好きです! 今年読んだマンガの中でいちばん好きな作品です。

大童:ありがとうございます。

ぼくりり:ちょっと前に精神的に落ち込んでいる時期があって。自分のやっている音楽に意味があるのか、代替がいっぱいあるんじゃないか……と考え込んでいたんです。ライブをしていても、来てくれた人を楽しませられているんだろうかと悩んでいたんです。

そんなときに『映像研』を読みました。大童さんのこだわりが無限に詰まっていて――もしかしたらその7%くらいしかぼくには伝わってないのかもしれないけど――こんな凝縮された作品があることにとても救われたんです。偏愛が許される世界は素晴らしいです。作中で出てくる水崎ちゃんの、「私はチェーンソーの刃が跳ねる様子を観たいし、そのこだわりで私は生き延びる」という台詞がとても好きです。

大童:嬉しいです。ちなみにその7%というのは具体的な数字ですか?

ぼくりり:いえ、なんとなくです。

大童:なるほど。うーん、そうだな、ぼくはそもそも、人のためにマンガを描くことのほうが無意味だというイメージがあるんです。

ぼくりり:おおー、ぼくは最近まで責任感で音楽をしてしまっているような感覚がありました。大童先生はどうですか?

大童:理屈はわかりますよ。でも、ぼくりりさんにも、個人製作をしていた時期があったんですよね?

ぼくりり:ぼくはニコニコ動画の「歌ってみた」から出てきて、そこからシフトして自分で曲を作るようになりました。今では枯れ果てている「ニコラップ」というタグがあって、いろんな人が作ったトラックを借りてラップをするところからはじめたんです。いちばん最初の感覚としては個人製作というよりも、家でカラオケをしているだけだったと思います。

大童:打ち込みはされていないのでしょうか?

ぼくりり:コードとか楽譜とか、そういう音楽っぽいことの9割はできないんです。

大童:音楽の授業が得意だとか? リコーダーはどうですか。

ぼくりり:平均的ですね。

大童:ぼく、リコーダーが家に5、6本あって。

ぼくりり:ガチのやつですか……?

大童:全然ガチじゃないです(笑)。親が音楽をやっていたこともあって、クラリネットとかフルート、ケーナ、ピッコロ、オカリナ、天袋を開けるとなんでも出てくる家でした。

楽譜も音程もよくわからないのですが、そのうちに耳コピでいろんな曲をリコーダーで吹けるようになりました。でも音楽の授業はぼくにとって最悪で、強制されてリコーダーを吹かなきゃいけないのが苦痛だったんです。

ぼくりり:苦痛なんですか? 無双できて楽しかったという話ではなく。

大童:全然! 自由にやっているのが一番楽しいです。でもリコーダーを商売にできるほどのスキルはない。そんなリコーダーの存在って、自分にとってなんなんだろうと時々考えることがあるんです。

◇有能が流行り、無能は流行らない?

ぼくりり

“お話を聞いていると、映像研の3人の人格が大童さんの中にすべて含まれているような気がしてきました”

大童

“自分が好きだと思ってやっている分には、責任なんか追わなくていいと思うんです”

ぼくりり:大童さんは「楽しい」が原動力になってるんですね。『映像研』に出てくる浅草みどりのような性格だなあって思いました。浅草ちゃんは細かい設定をいろいろ考えていくのが好きなタイプで、自分の好きな気持ちで進んでいきますよね。読んでいて、いいなあと思います。

大童:じつは、ぼくは自分のことを「絵を描く金森」だと思っているんです。

ぼくりり:金森なんですか、意外だなあ。ぼくも金森ちゃんが好きで、一番共感できるのも彼女なんです。彼女はお金が大好きで、プロデュ―サーの立場から『映像研』に関わっていきます。ぼくから見て、金森ちゃんのいいところは、ものを作っている人に対してダメ出ししないところだなあと。「ダメな作品だからお前はダメ」と人格否定をしません。作品と人格を切り離しているのがとてもいいです。

大童:金森がやろうとしているのは利益の最大化です。自分の手持ちの素材がどうであろうが、それを引き出して売っていくのが金森の仕事。だから金森は作品にダメ出しするどころか、肯定する必要もないのかもしれません。

それに金森が人気を得ているのは、半分狙い通りなんです。最近は「有能な人」が流行っているように思います。逆に、無能では流行らない。今はアニメーターにお金を払え! という怒りがTwitterでバズる時代で、その流行にも乗っていて、金森はクリエイターにきちんと対価を払うということを徹底するタイプです。

ぼくりり:金森は現実的ですが、浅草ちゃんはお金をもらうことをあまり理解していない。その対比も面白いです。

大童:自分が好きだと思ってやっている分には、責任なんか追わなくていいと思うんです。ぼくがリコーダーを好き勝手吹いている分には、下手くそでもいいですよね。

ぼくりり:ぼくはけっこう卑屈なので、もし自分が金森ちゃんだったら、「ほかの2人はクリエイターなのに、私はなんで何もできないんだろう……」と羨ましく思ってしまいそうです。

大童:なるほどなあ、それは興味深いです。ぼくは久しく人と比べるという感情を忘れていたな……。金森がやろうとしているのは、金儲けのゲームです。ゲームを管理しているのは自分だという感覚だから、彼女はほかの2人のことを羨ましいとは思っていないと思います。

ぼくりり:お話を聞いていると、映像研の3人の人格が大童さんの中にすべて含まれているような気がしてきました。

大童:ぼくは金森みたいな人間でありながらも、一方でぬいぐるみが好きなんですよ。よくぬいぐるみを吸引しています。

ぼくりり:きゅういん?

大童:ぬいぐるみをこうやって(口元にもってきて)、すー、はぁーって。

ぼくりり:心落ち着くんですか?

大童:はい。かわいいものが好きです。小さいころからぬいぐるみが好きで、いまだに大量に持っているんですけど、そこにもこだわりがあって、簡単なぬいぐるみでは好きになれない。

ぼくりり:そのぬいぐるみは版権モノとか?

大童:全然違います。ふわふわした動物が多いです。形にはこだわりがあって、ここ(喫茶店)にはパッと見て美しいと思うものはありません。比率だけでいうと、これ(楊枝入れ)の蓋の部分はいりません。フィルムケースの比率がぼくは好きなんです。電池もいいですよね。単3電池はちょっと長い。あっ、単4電池は嫌いなんですけど。

ぼくりり:わかります。なんか小賢しいですよね。

大童:「単4電池って小賢しい」と言ったとき、「なにそれ、ウケるー」と反応する人が大部分だと思うのですが、冷静に見たら、それは誰しもに理解される感覚だと思うんです。

◇自分の描いているものはこだわりか、マンガか?

ぼくりり

“大童さんは描いたあとで「この線、気持ちいいな」とか思わないんですか?”

大童

“誰に指摘もされないし、誰も気づかない一番重要な部分を、自らどんどん減らしていってしまっているんじゃないか。それが目下の悩みです”

大童:ぼくりりさんのインタビューを読んだら、ほかの人の音楽を聴いて「勝てるな」と思って音楽をはじめたとおっしゃっていました。これは、あるあるですよね?

ぼくりり:クリエイターあるあるだと思います。

大童:絵だってそうです。「勝てるな」と思った瞬間に、それをやると勝てるんです。

ぼくりり:勝てますよね。ぼくも大童さんの経歴をネットで検索したんですが、『映像研』の前に同人誌を出していたことしかつかめなくて……。

大童:ぼくは今まで作品を完成させたことがないんです。映像系の専門学校に通っていたのですが、そこでも課題を完成させたことがありませんでした。『映像研』を描くまでは、どのメディアにも出現していなかったんです。pixivのような素人が絵やマンガで活躍する場においても、です。筆が遅い人間なので、貯め込むことのほうが多かったんです。いいものを見て「神だー! うわー!」と言ったり、あとはひたすら人の作品を見て文句を言ったりして過ごす日々でした。

ぼくりり:同人誌でマンガを描くきっかけはなんだったんですか?

大童:自分が何も完成させられない人間だったので、焦っていたんですよね。何かひとつでもいいから、作品を完成させなければならない。アニメーションを描かずに死ねるかと思ってましたね。

2年で専門学校を卒業して、残りの2年間はモラトリアムの期間でした。そこで箸にも棒にも引っかからなければ就職しようと考えていて。それでアニメ制作をはじめたのですが、やはりダメでした。そこから自分を追い込むためにコミティアに応募して、マンガを描くようになったんですが、それも終わらせることができなかった……。

ぼくりり:ええっ、終わらせられなかった?

大童:はい。同人誌は出したんですが、まだ続いたままです。話は逸れますが、ぼくりりさんは自分の曲をカラオケで歌ったりしますか。

ぼくりり:歌わないですね。曲として歌いにくいので。

大童:ぼくも自分で描いたマンガはつらくて読めないタイプなんです。

ぼくりり:ああ、そういう感覚とは少し違うな……。ぼくは「ここにこういう音が来たら気持ちいいな」という感覚で作っているから、自分の曲はすごくよく聴きます。自分がいちばん好きな音楽を自分で作っている、という感じです。大童さんは描いたあとで「この線、気持ちいいな」とか思わないんですか?

大童:絵だけであれば何度も見られるのですが、物語は見返すことができない。絵に関しては、この比率がいいとか、わりと確固たるものがあるので自信を持っています。でも、自分が最もいいと思う絵が必ずしも読者に受け入れられるわけじゃない。

たとえば、1巻に水没した都市の絵を描きました。解体中の建物の資料を見たり、給水できる風車にするためにしくみを調べたりしながら描いたんです。プロペラを描くときも、自分でフリスビーを買ってきてプロペラ状にカットしてドライヤーで温めて曲げて、資料を手作りしたり。

ぼくりり:ヤバい。

大童:水面に床屋のやつ(サインポール)が浮かんでいますが、これもSFなどでたまに見る「水没した都市」では、道路標識が使われることが多いんです。それと同じことは絶対にやりたくないと思って、それで床屋のやつを浮かべることを思いついたのですが、思いついたら調べないといけません。モーターがどこについていて、どういう構造なのか。この模様のある部分は紙を巻いて止めているので継ぎ目があります。ぐるぐる回っているので、継ぎ目が必ずしも見えるわけではないですが、ここで継ぎ目を描くのがリアリズムだと思って……。

ぼくりり:「わかってますよ」って線ですよね。

大童:そう、「わかってますよ線」です。ぼくにとっては重要なんですけど、でも読者がそこまで読んでいるのか考えると……自己満足の域を出ないんじゃないか。面白さの本質が「わかっていますよ線」にあるわけじゃない。自分の描いているのは、マンガなのか、こだわりなのか。

そう考えたときに、時間や締め切りの比重が上がって、自分自身に課すクオリティはぐんと下がります。描いていて、多少つらくなってくる。後半になってラストスパートになっていくと、息も絶え絶えなときがあって、あとで読み返すとそのアラがわかってしまって、それもつらい。誰に指摘もされないし、誰も気づかない一番重要な部分を、自らどんどん減らしていってしまっているんじゃないか。それが目下の悩みです。

ぼくりり:ふだん音楽を聴いていても、「ああ、この曲を作るのに時間が足りなかったのかも」と思うときがあります。同じ業種の人なら、けっこうわかることかもしれませんね。

大童:それが読み取られてしまっていいものなのか……ですが、そこを指摘されてはじめて、よかった、わかってくれる人がいる! と思えるのかもしれません。かといって、なんでもかんでも指摘されるとつらいわけですが(笑)。

ぼくりり:ぼくはこの作品について「こだわりを前面に出しているから、救われた」と言いましたが、大童さんにとってはすごく皮肉に聞こえたのかもしれませんね。ぼくにはこだわりに思えて愛おしく感じたものが、大童さんにとっては妥協の結果なのかもしれないということですし。

大童:そうですね。

ぼくりり:大童さんは自分のこだわりをどう捉えているんですか。

大童:連載には不向き!

◇締め切りがなければ豊かなものが描ける

ぼくりり

“これだけ自分に厳しい目を向けていたら、自分の内なる批判者に殺されたりしないんでしょうか?”

大童

“認められれば認められるほど、呪いの力が弱くなり、浄化されて死んでいく”

ぼくりり:『映像研』の物語内では、予算審議委員会で予算を取るために、積極的に「妥協したアニメづくり」がされますよね。作る側は自分たちのこだわりを完遂して、それを金森がさまざまな相手と調整して、実現させていくマンガなのかと思って読んでいると、みんなで妥協ポイントを探るシーンが出てきて驚きました。ディテールにこだわっているマンガだからこそ、です。でもたしかに、締め切り前に妥協する感じ、すげえ気持ちがわかるんですよ。

大童:ここでマックス出し切るのは話の流れ的にも違うかな……と思ったんですよ。

ぼくりり:大童さんは「作品を完成させたことがない」と言っていましたが、商業誌になって締め切りができてよかったですか?

大童:よかったです。でも締め切りがなければないほど、ものすごく豊かなものが描けるし、自分でも楽しいだろうなと思いますね。完成したものにも、絶対的な自信を持つと思う。同人誌を描いたときは、読みやすさと誤解されなさは意識したのですが、それ以外のところは自分の好きなようにしました。今でもあの同人誌には自信があって、読み返すことができます。完成しなかったけど(笑)。

ぼくりり:よく「締め切りがあるから表現が生まれる」みたいな話を聞くし、ぼくは締め切りに向かって作るほうが楽なので、こうやってこだわり続けて、しかもクオリティを高められること、本当にすごいなあと思います。

最後に、これだけ自分に厳しい目を向けていたら、自分の内なる批判者に殺されたりしないんでしょうか? 以前、対談した穂村弘さんが「音楽や映画や小説に詳しくなればなるほど、作る側にまわるのが怖くなる」と言っていたのが印象的で。その、もうひとりの自分がとてつもない悪魔のように思えることがしばしばあります。

大童:技術力さえあれば、たぶんそういう状態の人は何か生み出すことができると思うんです。むしろ、生み出したときに成功する度合いが高いんだと思います。自分の作品を客観的に見ることさえできれば、です。

ぼくが創作をはじめた当初は怒りしかなくて、自分自身に対して「バカやろう、ちゃんと描けよ」とばかり思っていました。自ら描くという行動に出たことで悪魔と一体化して、取り殺されることはなくなったけど、認められれば認められるほど、呪いの力が弱くなり、浄化されて死んでいく。

ぼくりり:それはある意味で創作から離れていくことに繋がるように思えるんですが、その悪魔が死ぬことは怖くないですか?

大童:ぼくは庭いじりとかが好きなので、悪魔が死んで創作をやめても、隠居老人になれるんじゃないかな(笑)。マンガをずっと描き続けるかもわからないし。もし創作しなくなったら、下積みせずにプロデューサーみたいな口だけでいろいろ言える立場になれないかなあって思っています。

ぼくりり:『映像研』は終わってほしくないけれど、大童さんが作品を完成させるところを一度見てみたいと思いました。今日はありがとうございます。

Text_Potato Yamamoto