Conversation 05

Guest乙武洋匡|作家

Profile

乙武洋匡

おとたけ・ひろただ/1976年、東京生まれ。早稲田大学在学中に、『五体不満足』(1998年、講談社)を出版し、ベストセラーになる。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、都内の小学校教員に。教師時代の経験をもとに書いた『だいじょうぶ3組』(2010年、講談社)が映画化される。地域ぐるみの子育てをモットーとする「まちの保育園」の経営に携わる。自身の障害をネタとして投稿するなど、Twitterでも注目を集める。嫌いな食べ物は餅。

乙武洋匡さんに聞く
失敗とのかかわり方

対談第5弾は、『五体不満足』のベストセラーで知られる乙武洋匡さん。スポーツライター、教師、コメンテイターと幅広く活躍していた最中、昨年3月の不倫報道をきっかけに一時活動を休止した。現在、活動を再開中の乙武さんに、失敗を考えるためのヒントを聞いた。

  1. 1.「多様性のある社会」ってなんですか?
  2. 2.「太い道」は「正しい道」なんですか?
  3. 3.「俺には何もない」と思ったら?
  4. 4. インターネットで嫌われること

◇「多様性のある社会」ってなんですか?

ぼくりり

“そもそも乙武さんが表舞台に出るようになった、その目的ってなんですか?”

乙武

“有名になるとか金持ちになるとか、そんなことはどうでもよくて、多様性のある社会が実現することが人生をかけての目標なんです”

ぼくりり:ぼくは『五体不満足』1998年、乙武さんが早稲田大学在学中に執筆した自伝。クラスメイトと過ごした少年時代、バスケットボールやアメフト部に所属していた中高時代、一浪ののち早稲田大学に入学後、街づくりのイベントに関わるまでの半生が描かれている(2001年の完全版では、『五体不満足』出版後の葛藤も記されている)。累計550万部の大ベストセラーになった。が発売された年に生まれて、小学校の推薦図書でも自然にそれを読んできた世代です。

乙武:いまや小学生にオススメできない本になっているけど(笑)。

ぼくりり:ふふふ。乙武さんと話したいと思ったのは、ちょっと言いづらいんですが、「失敗」2016年3月24日号の『週刊新潮』に、「参院選「自民党」最強の切り札の背徳的生活! 一夫一婦制では不満足  「乙武クン」5人との不倫」としてスクープされ、乙武さんは謹慎を余儀なくされる。に興味があって。

乙武:うんうん(笑)。

ぼくりり:このメディアを始めた目的のひとつに、もっと同世代の若い人がいろんなことに挑戦してほしいという思いがあります。だから、乙武さんが自分の本来の仕事とはまったく違う方向で「失敗」をして、今再起をはかっている中、ぜひお話を聞きたいと思いました。

乙武:じゃあ、ぼくりりくんは騒動後に興味を持ってくれたんだ。ぼくりりくんが興味を持つ人って、相手が有名かどうかよりも、自分が会いたいかどうかで人を判断しているなと感じます。一般的にはミーハーというか、どうしても有名な人に目が向いちゃうんだけど。だから、今回のお話は、有名無名にかかわらず、人として興味を持ってもらえたんだなと、すごく嬉しかったです。

ぼくりり:本当にお忙しい時期にありがとうございます。まず乙武さんにお聞きしたいのは、本を書かれたり、テレビに出られたりと、多彩な活動をされていますが、そもそも乙武さんが表舞台に出るようになった、その目的ってなんですか?

乙武:活動のベースには、「多様性のある社会」を実現したいということがあるんです。

ぼくりり:その「多様性のある社会」はどうやったら達成されるのですか?

乙武:大きくは「社会の環境」と「人々の意識」、その2つが改善されること。今の日本は、まだまだ多様性のある社会とは言えないと考えています。

まずは、社会の環境から考えてみるね。ぼくは、どんな境遇の人にも同じだけの選択肢が与えられていることが「多様性のある社会」の条件だと思っているんだけど、今の社会では、マジョリティとマイノリティでは明らかに環境に違いがある。例えば、日本は同性同士だと結婚できないよね。すると、遺産相続の権利がなかったり、緊急時に死に目に会えなかったりする。ほかにも、何か目標を持った時に、それを実現するためのハードルにも人によって凸凹があるよね。たとえば、どんなにやりたいことがあっても、家が貧しいことで大学に行けない人もたくさんいる。まずはそういう環境を、なるべくフラットにしていきたいと考えています。

次に、人々の意識の問題。「あいつはあいつでいいじゃん」と思える社会にしたいんですね。今の日本は、「あいつはみんなと違っておかしい」と言ってしまいがち。でも、なんで同じであることを求めてしまうのだろう。みんなそれぞれ違って、「あいつはあいつでいいよね」と言い合える社会であってほしいんです。

ぼくりり:ひとつ疑問に思うのは、乙武さんがおっしゃる「マイノリティ」って、具体的に誰のことを指しているのでしょうか。ぼくは具体的にそういう意識がないんです。たぶんマジョリティ側に属してきたから、見えてこなかったのかもしれません。

乙武:純粋に、「数の少ない属性」の人たちのこと。障害者、LGBTL=レズビアン(女性同性愛者)、G=ゲイ(男性同性愛者)、B=バイセクシュアル(両性愛者)、T=トランスジェンダー(心と身体の性が異なる者)の頭文字をつなげたもの。国連開発計画によるとトランスジェンダーは300人に1人、同性や両性に惹かれる人は約30人に1人いると言われている。、生まれ育った家庭が貧しい人、あるいは外国籍の人。そういう人たちは日本社会で暮らしていくうえで不利益があるし、普通に生きていくうえで、ほかの人以上に高いハードルがあるんです。

たとえば、ぼくりりくんも、急な親の転勤によって海外で暮らすことになったら、自分ひとりだけ言葉がわからない環境で、さらに黄色人種という理由だけでいじめられるかもしれない。そうした環境や、黄色人種であることは自分で選んだわけじゃないのに、それが理由でいじめられるのは理不尽だよね。「それが現実だよ」と言われたら、「そんな現実は壊したい」と思うんじゃないかな。

だから、ぼくとしては有名になるとか金持ちになるとか、そんなことはどうでもよくて、多様性のある社会が実現することが人生をかけての目標なんです。ただ誤解してほしくないのは、「世のため人のため」というのとも少し違うんですよね。だって、今の社会はマジョリティにとって快適にできているから、へんに多様性なんか実現されたら、「乙武、ふざけんなよ」と思う人も出てくるかもしれない。だから、僕自身はあまり「世のため人のため」なんて思ってないんですよね。とくに、今は「おまえが何を言う」と言われちゃうしね(笑)。

ぼくりり:生きていくうえでの目標の主語を「自分」にするのではなく、「社会」や「若者」など、他者に置き換えるというのは最高ですね。

◇「太い道」は「正しい道」なんですか?

ぼくりり

“大学に行って、就職して、という「正しい道」から外れてしまうと、谷底へ転落してしまうのではないか”

乙武

“もう太い道を外れることが「失敗」になる時代ではないと思います”

ぼくりり:そんな目標を持ってお仕事をされていた矢先、先日の不倫騒動でしばらく謹慎されました。それを「失敗」と呼ぶかどうかは議論があると思いますが、そう捉えた人も少なくないと思います。ぼくは「失敗」にすごく関心があって、どうしてかみんな失敗に対する得体の知れない恐怖を抱いていて、一度失敗したら、二度と立ち上がれないんじゃないかと思っている。ぼく自身にもそういう感情があります。普通に考えたら全然そんなことはないのに、不思議だなあと思います。

乙武:失敗を恐れていると言うけど、そもそも「失敗」って何なんだろう? 漫画『スラムダンク』でも、「あきらめたらそこで試合終了ですよ」高校バスケットボールを舞台にした人気漫画『スラムダンク』で、湘北高校バスケ部監督である安西光義が言うセリフ。同8巻において、優秀な選手でありながら足を怪我して不良になってしまった三井寿が、過去に安西からかけられたこの言葉を思い出し、「安西先生…!! バスケがしたいです……」と安西を前に泣き崩れるシーンが印象的。その後、三井はロン毛だった髪を短くし、選手として再スタートをする。という名言があったけど、何かあっても諦めなかったら、あくまでチャレンジの途中というだけで、失敗ではないんじゃないかな。

次に、もし人から批判されることを「失敗」と呼ぶのだとしたら、成功した人間にはつねに批判者がいるわけだから、それは成功の裏返しであるのかもしれないよね。

ぼくりり:たぶん、ぼくたちの世代って、先行きに対する漠然とした不安があるんです。大学に行って、就職して、という「正しい道」から外れてしまうと、谷底へ転落してしまうのではないかと無意識に感じているんです。

乙武:今、ぼくりりくんが口にした「正しい道」って、より正確に表現すると、みんなが通っている「太い道」と言えるかもしれないよね。

ぼくりり:まさに「太い道」です。日本人の人生ってドラクエみたいだなあと思っていて、見かけではどこまでも世界が広がっているように見えるんだけど、プログラミングされていない道は、見えない壁に遮られて進めない。その壁は先入観によって作られていると思うのですが。そして、決められたシナリオに沿ってイベントをこなしていかないといけない。それが受験や就職に当たるのかなと。

乙武:本当はそんなことないんだけどね。大人たちはよかれと思って、「そんなんじゃ生きていけないよ」とアドバイスするんだけど、それは彼らが生きていた時代が、太い道を通ることがリスクの少ない時代だったから。いい学校に入って、いい会社に就職して、長く勤めていたら勝手に給料が増えて、気が付けば結婚して、子どもが2人生まれて、郊外にマイホームを建てることで一定の幸せが約束された時代だった。それは、日本全体が右肩上がりの時代だったから。

でも、これからはむしろ右肩下がりの時代なのだから、太い道を選んだからといって安心安全なわけではない。だから、もう太い道を外れることが「失敗」になる時代ではないと思います。

例えば、ぼくの年の離れた友人に、小学校6年生の夏休みに「サッカー選手になりたい」と思い立ち、単身バルセロナに渡った子がいるんだよね。彼は現地でホームステイをしながら、地元のサッカーチームで武者修行している。

ぼくりり:ええ。小学生なのに、一人で?

乙武:そうそう。これは、その子もスゴいけど、両親もスゴいよね。一般的な親であれば「そんなバカなことを言わずに宿題しなさい!」と一蹴するはず。「せめて高校を出ないと、つぶしが利かないわよ」と思っている親がほとんどです。

でも、彼が進んだのは、太い道どころか、細くて暗い路地。でもね、たとえサッカー選手の夢がかなわなくても、彼はきっと高校を卒業する頃にはスペイン語がペラペラで、世界中に同じ夢を追いかけた友だちがいるはず。何より、小学校から単身バルセロナで生活するバイタリティのある人間なんだから、絶対につぶしが利くよね。俺が社長だったら、そんな人材が欲しいもん。逆に彼が日本にいたって、今や高校どころか大学を出たってつぶしの利く人材になれるか、怪しい時代だよね。

◇「俺には何もない」と思ったら?

ぼくりり

“「君にはたまたま音楽という才能があるけど、俺には何もない」と言われると、何も言えなくなってしまうんです”

乙武

“やりたいことをやりだそうとしている人にトラップをかけたり、後ろから石を投げたりする人が多いのが、本当に残念”

ぼくりり:ぼくもまったく同感です。細い道のほうが、リスクの少ない時代が来ている。でも、そういうことが頭でわかっていても、なかなか舵を切れないのはなぜなんでしょうか?

乙武:それはやっぱり、今の環境の居心地がいいからだと思うんです。自分がマジョリティにいることを無意識的に感じ取っているから、無理してマイノリティになる必要がない。だって、本当に居心地が悪かったら、どうにかしてもがいて、そこから抜け出そうとするでしょ? 結局、これまではマジョリティがいい思いをする時代がずっと続いてきたわけだから、多くの人が無理して細い道を行くことをいまだにリスクだと判断している。

ぼくりり:たしかに、今までマジョリティだからって、とくに不便を感じてこなかったかもしれませんね。ぼくがこうして「もっとチャレンジしたほうがいいよ」と言っても、「君にはたまたま音楽という才能があるけど、俺には何もない」と言われると、何も言えなくなってしまうんです。

乙武:「俺には何もない」という人は、そもそも「何か」を探そうとしているのかな? それ見つかったときに、勇気を出して太い道から逸れて、細い道に入って行く自信があるのかな。ぼくが思うのは、とくにやりたいこともなく、太い道に進むのに向いているのであれば、それはそれでいいんじゃないかな、ということ。

企業の人に話を聞くと、よく「2:6:2の割合」で人を採用すると言います。周囲の人を率いるようなタイプを2割、誰かの指示に従って効率よく働ける人を6割、最終的に使いものにならないかもしれないけれど、何をしでかすかわからないような“びっくり箱タイプ”を2割。そのバランスで採用することで、組織が伸びていくと言われているそうなんです。

ぼくりり:なるほどなあ。

乙武:そう考えると、人の指示に従って効率よく仕事をこなすことが、あなたの個性なんじゃないの? と思うんです。けっして無個性なわけではなくて、いろんな個性がある中で、自分の売りは「6割」のところにたまたまある。しかも、社会のマジョリティには、人の指示を受けてそれをきっちりこなす人が求められているわけだから、それはそれで胸を張ればいいんじゃないかな。

ぼくりり:効率的にこなせる個性か……。その通りですね。

乙武:ただ、「俺には何もない」と思っている人に陥ってほしくないのは、「俺だって我慢しているんだから、お前も飛び抜けるな」とまわりに同調圧力をかけること。それが社会を窮屈にしている本質だし、伸びるはずの個性をつぶしてしまっている。そして、自分とは違った人を責めることによって、社会から多様性がどんどん失われてしまう。「あいつはあいつでいいじゃん」と思えなくなってくるんだよね。

本人が、自分のやりたいことが見えずに苦しむのはしょうがないし、若さ特有のものだとも思う。でも、その苦しみを他人にも求め、押しつけ、せっかくやりたいことをやりだそうとしている人にトラップをかけたり、後ろから石を投げたりする人が多いのが、本当に残念。でも、そんなことをしたって自分の人生の問題が解決するわけではないことを、もっと自覚してほしいなと思いますね。

◇インターネットで嫌われること

ぼくりり

“ぼくは自分が悪口を言っていたタイプなので、それがどれだけ軽い気持ちで言っているのかわかります”

乙武

“親や先生、そしてメディアのように、自分に影響を与えてきたと思う存在を、その裏側から見る癖をつくってほしいな”

ぼくりり:今回の不倫騒動でバッシングもあったと思いますが、乙武さんはインターネットで嫌われることについてどう思いますか。

乙武:今回のことで、ものすごくバッシングを受けました。もちろん、不倫自体がよくないという思いで叩いていた人もいたと思うけど、それ以上にぼく自身が「真面目な乙武くん」という聖人君子のようなキャラで見られていたから、そのイメージとのギャップが大きかったことも影響しているのだと思います。でも、だいたいTwitterでぼくのことを叩いてくるのって、匿名アカウントなんですよ。彼らは、実名では言えないから、わざわざ匿名アカウントをつくっている。二面性でつくったアカウントでぼくの二面性を否定するって、ある種のギャグですよね。

だから、匿名アカウントでテキトーにつぶやいている人たちに対しては、もはや何とも思いません。だって、小さいころから面と向かって「気持ち悪い」と言われてきている人間が、誰かもわからないやつから「死ね」と言われたって、何のダメージもないよね。

ぼくりり:ぼくは自分が悪口を言っていたタイプなので、それがどれだけ軽い気持ちで言っているのかわかります。それは漫画のキャラに対して「アイツ、弱いよね」と言ってるのと同じレベルだから、「ぼくりり足短すぎwww」とか、平気で言えるんでしょうね。だから、ぼくは別にネットの悪口って気にならないのですが、すべての人に「気にするな」と言ってしまうのは、これもまた難しいと思っています。

乙武:ぼくも「気にするな」とは思わないな。だけど結局、周りの評価が気になるということは、自分自身がやりたいことに集中できてないからだと思うんです。やりたいことがあればそれを最優先するから、周りにどう見られているのかなんて気にならなくなる。キングコングの西野(亮廣)さんなんて、いい例ですよ。あれだけのバッシングを「むしろ利用してやるぞ」と戦略的に考えてますからね。

ぼくりり:そういう考え方はある種、自分自身を客観的に見て、キャラクターとしてコントローラーで動かす感覚とかに近いんでしょうか? 自分ではあるけれども、100%自分ではない存在ということですね。

乙武:そうそう。作家の平野啓一郎さんは『私とは何か「個人」から「分人」へ』芥川賞作家である平野啓一郎の著書。2012年、講談社現代新書から発売された。「個人」よりも小さな単位「分人」を提唱している。一人の人間の中には様々な顔(分人)があり、人間の個性はその分人の比率によるとしている。(2012、講談社現代新書)という本の中で、自分の中にはいろんな顔があるということを書いています。

ぼくりり:ぼくの中にも、本名である「田中(嘘)」と、「ぼくのりりっくのぼうよみ」という2つの人格があると思います。もっと言えば、人それぞれに見せる顔って違うし、それは当たり前のことで。父親と話すときと、友だちと話すとき、違った話し方をするのは当然のことです。

乙武:たぶん、それが人間の真理なんでしょうね。いままで社会で発信してきたことと、プライベートがだらしなかったぼくと、すべて含めて「乙武洋匡」という人間。だけど、一度「黒判定」を受けてしまったら、これまでのぼくの発言も、行動も、すべて嘘だとみなされてしまう。

ぼくりり:世の中にたくさんいる人たちの、いろんな顔を理解することはかなりの労力ですからね。あまり興味のない人に対して抱けるイメージは、せいぜいひとつか2つでしょうね。

乙武:まあ、そういう社会であることは現実として受け止めるしかない。たぶん、今後もしばらくは聞く耳を持ってもらえないとは思うけど、それでも多様性ある社会の実現のために、ぼくには伝えていきたいメッセージがあるから、時間をかけて、「乙武の言うことも聞いてみようかな」と思ってもらえる生き方をしていくしかないと思っています。

ぼくりり:最後に、乙武さんから、若い人たちに伝えたいことはありますか。

乙武:例えば、親や先生、そしてメディアのように、自分に影響を与えてきたと思う存在を、その裏側から見る癖をつくってほしいな。大人やメディアの言っていることは正しいのかな、と疑ってみてください。これからの時代は、「太い道」に行くことだけが、正解じゃないから。

そして、自分のやりたいことが見つかったら、臆せずに「細い道」を歩んでほしい。そうでないと、その先に自分が目指すものはないのに、「太い道だから」という理由で歩き続けてしまうんです。みんなが歩いているというだけで、妙な安心感があるんですよね。でも、「その道を歩いていった先にあなたがやりたいことはあるんだっけ?」と問いたい。細い道は不安かもしれない。後ろ指さされるかもしれない。それでも、「それがあなたにとっての正しい道だよ」と、大きな声で言い続けたいですね。

Text_Potato Yamamoto