Conversation 01

Guest落合陽一|メディアアーティスト

Profile

落合陽一

おちあい・よういち/1987年生。メディアアーティスト、筑波大学助教、デジタルネイチャー研究室主宰。筑波大でメディア芸術を学んだ後、東京大学を短縮修了(飛び級)し博士号取得。経産省よりIPA認定スーパークリエータ、総務省より異能vationに選ばれ、作品や研究論文は国内外から高く評価される。シャボン膜を映像メディアにする「コロイドディスプレイ」や、廃校になった学校の喧騒を指向性スピーカーでよみがえらせる「幽体の囁き」など、テクノロジーを利用したアート作品を数々と発表している。SEKAI NO OWARIやONE OK ROCK、イラストレーター・カナヘイとのコラボレーションも。人呼んで「現代の魔法使い」。主食はグミ。1日2食はグミを食べる。

メディアアーティスト・落合陽一が教える
情報洪水に飲まれないためのいくつかの方法

対談第1回目は、筑波大助教・デジタルネイチャー研究室主宰であり、コンピューターを使って新たな表現を生み出すメディアアーティストの落合陽一。機械と人間と自然との区別がつかなくなる「デジタルネイチャー」を標榜し、日夜、研究とクリエイションに没頭する落合さんに、情報があふれた世界をサヴァイヴするための方法を聞いた。

  1. 1.情報過多な時代で、ぼくらはゾンビになる?
  2. 2.情報の洪水に飲まれないためには何をすればいいの?
  3. 3.人間と機械の区別がつかない世界って天国? それとも地獄?
  4. 4.音楽コンテンツの未来は「空間」と「身体」にある?
  5. 5.もはや現代に自由意志なんて必要ない?

◇情報洪水の時代で、ぼくらはゾンビになる?

ぼくりり

“自分の感情や意識がない状態ってゾンビみたいですよね”

落合

“金を生み出しているやつら以外、全員死んでいるんじゃないかな”

ぼくりり:いま、世の中には洪水のようにいろんな情報があふれていますよね。ぼくたちはそれらを取捨選択することに不慣れなまま、表面だけをさらってしまうようになったと思っています。例えば、落合さんは朝と昼はグミしか食べないと決めていたり、「人間にとって“エモい”こと以外はコンピューターにやらせていい」と言い切っていたり、数ある情報から自分で取捨選択して、自分や人間がよりよく生きる世界を構築している人だという印象があります。それで、ぜひお話を聞きたいと思いました。

落合:ぼくりりくんが言う「洪水」というのは、ウソと本当が混ざって流れてくる状況のことですよね。イギリスのオックスフォード出版局は2016年を象徴する「今年の単語」として「ポスト・トゥルース「客観的な事実や真実が重視されない時代」を意味する。postは「重要ではない」の意味。アメリカの大統領選や、イギリスのEU離脱では、政策の内容よりも、個人の感情に訴えかける方法が重視された。オックスフォード英英辞典によって「今年の単語」に選ばれた。ちなみに2015年の「今年の単語」は「うれし泣き顔」の絵文字。(post-truth)」という表現を選びましたが、それはつまり、世論において真実かウソかはもはや関係なく、場合によっては政策すらも関係ない状況を指しています。この言葉が生まれた背景には、イギリスのEU離脱や、アメリカでドナルド・トランプが大統領になったことなどがあります。

これからは政治だけでなく、あらゆるものがポスト・トゥルース的になっていくのだと思います。この前、大学1年生にアンケートを取ったら、メディアのソースを気にしている人は誰もいませんでした。そんな世界で生きていたら、何が本当で、何が真実なのかわからなくなりますよ。

ぼくりり:漫画なんかでよく悪者が「俺たち幻想の世界でみんな幸せになれるぜ」って言ったりするシーンがあるじゃないですか。

落合:まさに「貧者のVRバーチャルリアリティ。「 人間の感覚器官に働きかけ、現実ではないが実質的に現実のように感じられる環境を人工的に作り出す技術の総称」(IT用語辞典「e-Worlds」より)頭に装着するヘッドマウントディスプレイなどが有名。2016年には「アダルトVRエキスポ」が行われ、VRをつかったエロコンテンツに注目が集まった。(ヴァーチャル・リアリティ)」ですよね。それこそ漫画の『NARUTO』なんかはまさにそうです。でも、もうすでに現代はそんな世界になってると思いますよ。SNSって、それこそVRですから。個々に分断された各々のコミュニティがあって、その中で褒め合っているだけ。

ぼくりり:自分にとって都合のいいタイムラインを作って。

落合:これはSFの話ではなく、そのおかげで実際にトランプが大統領になっていますから。そこに注目すると、情報の洪水の中で水が引くまで箱にこもらないといけないし、もしくはこの水が引くことはないのかもしれない。なぜなら、コンピューターがある限り水は生まれ続けてしまうでしょうから。そういう意味で、「ノアの方舟」というのはとても現代的なテーマだと思います。

ぼくりり:コンピューターが水(情報)を生んでいるんですね。洪水に飲まれてしまうと、Twitterを見ながらぼーっとしたり、ソーシャルゲームの単純作業を繰り返したり、とくにやりたいと思っていないことなのに、自分の時間をどんどん失っていきますよね。それって自分の感情や意識がない状態に近い。ゾンビみたいですよね。そういうモチーフとして2ndアルバム『Noah’s Ark』の中でも、何度かゾンビという単語を使っています。表題曲の「Noah's Ark」でも冒頭から「ゾンビの群れ」という歌詞が出てきますし。

落合:基本的には、ぼくらって今ほとんどの場合、「思考なきゾンビ」ですよね。でもぼくたちは、ゾンビの群れを怖いとも思わないでしょ。かみつかれたら感染するんじゃないかとか、普通は怖がるものなんだけど。

ぼくりり:中身はゾンビだけど、見た目が普通なので怖くないんでしょうね。同じアルバムに収録している「Newspeak」という歌にも「溢れる哲学的ゾンビ」という歌詞があります。「哲学的ゾンビ提唱したD.チャルマーズは、ゾンビの条件として「意識をもった存在と物理的に同一」かつ「意識体験を欠く」ことをあげている。チャルマーズはこの思考実験により、意識体験が生じるために物理的に存在することが必ずしも必要でないことを示そうとした。しかし、実験によって証明できるわけではないので、今もなお議論が続けられている。」というのは、普通の人間と同じように行動するんだけど、中身に意思がない人間のことです。

この「Newspeak」は、ぼくの好きなジョージ・オーウェルの著書『1984』に出てくる言葉です。「すごい」「超すごい」「ハイパーすごい」のような語彙しか世界になくなって、「趣がある」といった曖昧な言葉は排除されてしまう。「good」はあるけど、「bad」は「un-good」に置き換えられていく。その世界では言葉が減っていくんです。落合さんも「エモい」という言葉をすごくよく使いますよね。

落合:そうそう、「超すごい」「ハイパーすごい」は全部「エモい」で片づけることができますね。

ぼくりり:ぼくは言葉を扱うことが仕事なので、語彙をもっと豊かにしようという意識があります。でも、落合さんは「エモい」という言葉を使って、その逆のことをされていますよね。

落合:言葉を豊かにすることは大切なんだけど、言葉を豊かにしないような同調圧力は働きますよね。なぜなら、集団のコストとしては、ひとつの言葉ですべてが伝われば一番楽じゃないですか?

ぼくりり:落合さんは人間が情報の洪水に流されて、ゾンビのようになり、やがて自由意志を失うことについては悲しいことだと思いますか?

落合:それは「適応」だと思います。悲しさではないと思うことにしています。主人公がゾンビと戦う漫画『アイアムアヒーロー花沢健吾が『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)に2009年から連載している漫画作品。2015年に大泉洋主演で映画化。主人公・鈴木英雄が、ある日謎の感染症によって突然街にあふれた「ZQN」と呼ばれるゾンビ(作中では「ゾンビ」の名称は使われていない)と対決する。ZQNは感染していない者に噛みつき、噛みつかれた者もZQNになる。』でも、ゾンビが2ちゃんねるのような掲示板で会話している様子が描かれていますよね。今の人間もこんな感じだよなと思うわけです。

ぼくりり:ラベリングだけで生きている?

落合:というよりも、今の人間は価値を生み出しているやつら以外、全員殺されてるんじゃないかな。情報の流れの中で存在を消されているような感じ。システムを作る側になるか、コンテンツになるか、それとも流されていくか。ぼくらって、可処分時間にGoogleやFacebook、Twitterを使っているけれど、それらはすべて海外企業だから日本にお金はほとんど落ちてませんよね。つまり、ぼくら日本人の年収は変わらないけれど、可処分時間だけはどんどんなくなっている。

最近は、AI人工知能。AIの発達により、いままで中間層が多くついていた事務などの仕事がなくなり、大量の失業が起こると言われている。経済学者・井上智洋氏は、大量失業への対応策として、生活に必要な所得を国民に保障するBI(ベーシックインカム)の導入を提唱している。のようなテクノロジーが発達すると失業しちゃうから、BI(ベーシック・インカム)で最低限の収入を保証しようなんて話もあります。でも、金を生んでいない日本で、果たして整備できるのか。洪水の中、気がつけばぼくらは太平洋に流されてしまって、水がひあがったら日本に誰もいない可能性すらあります。それはそれでシビれる。

ぼくりり:シビれますね。

落合:そういうことをわかったうえで、ぼくはコンピューターの研究をしているんです。だからぼくのやっていることは、背後から「ごめんな」と言いながら人間をマシンガンで撃ち殺しているようなことと似ているのかもしれない。これがエモい。

◇情報の洪水に飲まれないためには何をすればいいの?

ぼくりり

“自分をひとつの学問のようにとらえて、
自分自身の説明書を何冊分もつくるっていうこと”

落合

“歴史を再解釈して、自分流の世界をつくるのは方舟をつくることと似ています”

ぼくりり:ぼくは洪水に流されてゾンビになるのは嫌だと思っているんです。ゾンビにならないためにはどうしたらいいのでしょう?

落合:洪水に流されないためには、方舟に乗ってその中にこもるしか方法はない。その方舟に乗る方法のひとつとして、自分で「文脈」をつくるということがあると思います。自分で歴史を語っていくという作業です。

ぼくりり:「ぼくは歴史○○派!」みたいな感じですか?

落合:それだと、今の世の中にあるラベルと変わらないので、歴史を自分流に解釈する必要があるんです。例えば、ぼくはメディアアーティストですが、ぼくなりの「メディアアート」の歴史は、エジソンからスタートしているんです。

エジソンは「キネトスコープ」という、リールの回転から映像を生み出す作品をつくったり、円盤の回転を利用して音を再生できる蓄音機を発明したり、人間の視聴覚を運動エネルギーの変換から生み出そうとした。彼がそうやって新しいメディアをつくり、人間の五感をアップデートしたとするならば、そしてそれがメディアの思考についての創作行為だったなら、それはメディアアートであると再解釈できます。ぼくは今まさに、彼のやっていたことを、コンピューターの計算によって再定義しようとしているんです。映像と物質、人と機械、自然と人工物の垣根を越えながらね。

ぼくりり:落合さんの活動は、エジソンからつながっていると。

落合:自分の起点になることは自分しか発見できません。それは昔、「信念」と呼ばれていましたけど、信念は単純で複製可能なんですよね。これからのポスト・トゥルースの時代は、もっと体系だったものを生み出して、自分で信じ込まないといけない。そこを立脚点にしないと流れてしまう。

ぼくりり:それは例えば、自分のことをひとつの学問のようにとらえて、自分自身の説明書みたいなものを何冊分もつくるっていうことですか?

落合:それができる人は今のところ極めて少ないけど。

ぼくりり:そういうふうになりたい人はいっぱいいるだろうし、そういう人が増えてほしいなと、ぼくはこのメディアを立ち上げたんです。そのための文脈って、一体どうやってつくればいいんでしょう?

落合:ひとつは、自分の一番好きな作家を崇めてみる、とか。ぼくりり君も好きな人とかいるでしょ?

ぼくりり:いますね。いろんな人から影響を受けています。

落合:もし、芥川龍之介が死ぬほど好きだったら、芥川龍之介は今の時代で何ができるのか、そして何ができていないのかを考えてみる。そうやって歴史を再解釈して、自分流の世界をつくるのは方舟をつくることと似ています。

ぼくりり:歴史っていうと壮大なイメージになっちゃうけど、誰かひとり自分の好きな人からはじめてもいいんですね。

落合:りゅうちぇるでもいいですよ(笑)。楽屋で会うとりゅうちぇる自分で髪巻いてたり、設定自分で作ったり、すごい才能だと思うんだよな。

ぼくりり:ふふふ、それはやばい。同じ時代に生きている人でもいいってことですね。

落合:AKB48が「会いにいけるアイドル」であれば、「地下にもぐったアイドル」ができるという考え方でもいい。それが100年とか200年前から接続されていればもっと深い文脈がつくれます。つまり時間の遠さは、文脈の強さにつながると思います。

◇人間と機械の区別がつかない世界って天国? それとも地獄?

ぼくりり

“きっと楽しい地獄だってあるわけですよね?”

落合

“それは麻薬と一緒。毎日辛い肉体労働をするより地獄かもしれない”

ぼくりり:例えば、これから落合さんの研究が進んで、目指す世界が完成したらどうなるんですか?

落合:実質(バーチャル)と物質(マテリアル)の区別がつかなくなります。人間と機械の区別もつかなくなってくるでしょう。その世界のことをぼくは「デジタルネイチャー」と呼んでいるんです。

でも、今のぼくらも、すでに人間と機械の区別がついていないかもしれない。例えば、Google検索をするとき、脳の海馬を紐解くような神経信号の伝達状態を伴いながらスマホを見ているという研究報告が以前ありました。つまりぼくらは、脳みその中を探す感覚でGoogle検索をしている。それは卑弥呼の時代には起こらなかったことでしょうし、種族として変わってしまっているのかもしれない。

ぼくりり:人間と機械の区別がつかないとなると、ぼくたちは何を求めるんでしょうか?

落合:これからは身体を求める世界になっていくでしょうね。

ぼくりり:それって、VRのようなテクノロジーとは真逆の世界ですよね。VRだと、自分で自分の身体の見かけをカスタムできたりするじゃないですか。

落合:人間がVRの世界で暮らすようになった時に、おそらく身体を求め出すでしょうね。だから、触覚がすごく重要になってくる。今、VRの中の身体をどう構成するのか、ぼくの分野の仲間たちが研究していますよ。もうちょっと研究が進むと、VRの身体と実際の身体の区別もつかなくなっていくかもしれません。例えば美大生なら、ずっとVRの中にこもって絵を描くことができる。

ぼくりり:現実の世界と違って、材料費とか必要ないですもんね。

落合:でもそれは、3次元的に絵を書き続けられる地獄みたいな言い方もできます。

ぼくりり:地獄ですか(笑)。でも、当人たちにとっては天国かもしれない。きっと楽しい地獄だってあるわけですよね?

落合:身体的快楽と精神的快楽を同時にともなった、やがて破滅する地獄もある。でもそれって、麻薬と一緒ですよね。毎日辛い肉体労働をするより地獄かもしれない。でも、人間はその地獄に陥りやすい。

ぼくりり:地獄でも天国でもない空間は存在するんですかね。

落合:神学上では、それは「地上」だと定義されているんですよ(笑)。労働と快楽が適度に混じり合った世界で、規範をもって生きていく。規範はこれまで宗教が定めていました。例えば、イスラム教徒は断食をしたり、豚を食べなかったりする。そうやって非合理的な規範を守って宗教を信じていた。その規範は、信仰とそれによる制約によってしか生まれません。

でも、今の世界に制約は多くないし、宗教も科学に置き換わろうとしている。こうなったら、やっぱり文脈を自分でつくるしかないんです。ぼくは毎日18時間働いているんですけど、それも自分のなかの経典で「よく働くこと」が教義になっているからなんです。

◇音楽コンテンツの未来は「空間」と「身体」にある?

ぼくりり

“音楽はスーパーのBGMと同じように、あふれる情報のひとつとして聞き流されてしまうかも”

落合

“音楽は身体的なものを求めるこれからの時代に適しているんじゃないかな”

ぼくりり:そんな天国にみせかけた地獄が待ち受けている世界で、音楽はどう機能するんでしょうか。スーパーのBGMと同じように、あふれる情報のひとつとして、ただ聞き流されてしまうのか。

落合:ぼくは音楽が本質的に持っている宗教性というのは感じますよ。

ぼくりり:それはなぜですか?

落合:音としての気持ちよさと、中毒性がある。身体的なものを求めるこれからの時代に適しているんじゃないかな。その点、うらやましいですね。ぼくがやっているメディアアートというのは基本的にはインスタレーション。空間をつくるアートです。空間芸術をコピーしたりスマホで買ったりするのは難しいですから。

ぼくりり:音楽はデータがあれば繰り返せるし、その長さも一番適した形ですよね。

落合:一方で、音楽のリピート性とは別に、ライブを空間芸術にしていくのもひとつの手ですよね。ぼくがSEKAI NO OWARIのライブの会場装置をつくったり、ワンオクの音楽を全身で体験できるジャケットを作ったり、Rhizomatiks株式会社ライゾマティクス 。メディアアートと産業、企業とのコラボレーションによって社会に大きなインパクトを与えるため、2006年に法人化した(Rhizomatiks ホームページより)。幅広いメディアアートを手掛けている。https://rhizomatiks.com/がPerfumeとコラボレーションしていたりするのは、音楽を耳や目だけではなく、存在感として一緒にライブで楽しむということを人々が求めているからでもあるわけです。

SEKAI NO OWARIのライブ会場でも用いた「looking glass “time”「アリスの時計」。2016年に発表された落合陽一のインスタレーション作品。https://www.youtube.com/watch?v=c3orYwyuRz4」というぼくの作品があります。光源がいっぱいあって、レンズが並んでいて、そこから投影されてアニメーションがつくられるという単純な機械なんですが、機械の動作音や影が、実物と虚像との関係がない交ぜになるような独特の存在感を出すわけです。

ぼく自身が歌などのコンテンツまでつくると手が回らないですから、強烈な求心力をもった音楽とコラボレーションして、特殊な空間芸術をつくることに挑戦しています。もし、ぼくりり君と一緒にやるなら、ライブステージに方舟くらいはつくりますよ。

ぼくりり:おお! それはすごい!

◇もはや現代に自由意志なんて必要ない?

ぼくりり

“多くの人は自分に意思がないことに無自覚であるような気がするんです”

落合

“自由意志を大切にするというのも、一種の刷り込みでしょうね”

ぼくりり:最近、スマホがあるせいで、作業途中にLINEが来たりして思考が分散するようになりましたよね。1分前にはTwitterを見ていたのに、今はゲームをしていたり。いろんなブラウザやソフトが脳の中で開きっぱなしになっていると思うんです。

落合:つまりシングルタスクからマルチタスクになっているということですよね。みんなが深い思考ではなく、突発的な思考で判断するようになっています。ぼくもなるべく深い思考に入れるように、最近はメールをやめたり、LINEの通知を切ることにしました。そしたら、一気に楽になりました。社会性を失ってる気もしますが。

ぼくりり:落合さんには秘書さんがいらっしゃるとのことですけど、どこまでその秘書さんに裁量を預けているんですか。

落合:その仕事がヤバくならなければすべてOK。自分が深い思考になる代わりに、自分の予定や意思決定の一部を秘書に任せることで、ロボット化しているんです。情報でつながった世界は、どこをロボットにするのか、しないのかを考えなきゃいけない。全部中途半端だったら、クリエイティブもなければロボット化してコストを削減できる部分もなくなってしまいます。

ぼくりり:その選択に自分の意志が働いているというのがすごいです。

落合:自分が考えても仕方ないぞ、ということはさっさと諦めています。自分が考えるべきことだけを考えたいなら、誰かにマネージメントしてもらったり事務を手伝ってもらうのはいいですよ。

ぼくりり:でも、自分が何かをするためにマネージメントの人を雇っているとしたら、その雇われている人たちは仕事中、浅い思考しかできないということになりませんか?

落合:それは自分の中に才能があるかどうかだと思いますよ。それぞれがそこを見つけて伸ばせるかどうか、なんです。でもそれは、一人一人の役割分担の話でなく、個人の時間の使い方の中で割られていく話なんです。うちの秘書さんも秘書してるときはホワイトカラーで、それ以外のときはクリエイティブをして働いている。そんな風にどこに自分の得意なとこがあって、どこで社会性を作るのか考える。僕も大学の先生の事務作業をしてるときは何も考えてないときもあります。

早くから自分の才能を見つけてそこに投資した人は、ものすごく伸びる。ぼくは学生の頃から秘書を雇っていて、研究や作品作りだけに没頭してます。研究員などをやらずにそのまま先生になったんです。時間を割かないためにはお金を使う必要があって、たとえお金を使っても目的が達成できるならそれでいいと思っています。目的を達成することでお金をもらうことを望むか、今ここにあるお金でその目的に達成する道をどんどん買っていくのか。それならぼくは後者を選びます。

ぼくりり:お金の本質に近い感じもしますね。落合さんは一部の仕事をロボット化し、自由意志を自ら放棄していることも認識されています。でも、多くの人は自分に意思がないことに無自覚であるような気がするんです。その違いっていうのは、きっと大きいですよね?

落合:自由意志か……。そもそも産業革命以前の人類は自由意志なんて考えていないんですよ。好き嫌いはあったと思うけど、たぶん「エモい」「エモくない」しか存在していなくて。自由意志が目覚めたのは産業革命以降。機械と人間とを比べることで、自分たちが主体的に行動できたり、意思決定できたりすることに気がついた。それゆえに、ぼくたちは機械みたいなものは人間ではないと定義しているわけです。でも、これからはどんどん機械と人間の区別がつかなくなるので、自我=身体になっていくでしょうね。

ぼくりり:てっきりぼくは、この大洪水の時代には、自分の意志が大事なんじゃないかと思っていました。

落合:自由意志を大切にするというのも、一種の刷り込みでしょうね。でも、「自由意志が大切だ」という方舟に乗ってくれる人はいると思います。でもそうでない方舟もあるし、それは個人の時間割の中で混ぜこぜになってるんじゃないかな。

ぼくりり:それはぼくがたまたま、このメディアを「自由意志号」としてつくっただけ、ということでしょうか。

落合:そうです。世の中には多くの方舟が流れていますから。ぼくりりくんの考えでつくったこのメディアだって、方舟として囲ってしまえば、ぼくりりくんはゾンビにならなくて済みますから。

Text_Potato Yamamoto